絶対(神・霊)と無(主・イエス)~聖書とメンタルヘルス

イエスを「無」という意味は「ケノーシス」…聖霊による自我無化。「『必要』ということが、ほとんどの場合、どうどうめぐりをする考えから、私たちを救い出してくれるのである。」(渡邊二郎著『人生の哲学』)「神」が「絶対」である必要は、個々人の生命がかけがえないものだから。「絶体絶命」の状況において「絶対」である生命を任せ得るものは「絶対」以外には無い。「また、すべての人は食べ、飲みあらゆる労苦の内に幸せを見いだす。これこそが神の賜物である。」(共同訳 コヘレト3:13 )

2024-03-26から1日間の記事一覧

聖書的精神療法・・・対人関係だけを前提とする「認知・行動療法」を媒介して、対人関係だけではなく対神関係を第一の前提とする「聖霊感知・行動療法」へ

< そもそも、精神療法・心理療法とは、治療者と「対話」「交流」を通じ、「自己」を「深く知る」ことにほかなりません。その際、治療者の「姿勢」「人柄」さらに「人間性」が問われると言っても過言ではないでしょう。世界には数百の精神療法・心理療法があ…