絶対(神・霊)と無(主・イエス)~聖書とメンタルヘルス

イエスを「無」という意味は「ケノーシス」…聖霊による自我無化。「『必要』ということが、ほとんどの場合、どうどうめぐりをする考えから、私たちを救い出してくれるのである。」(渡邊二郎著『人生の哲学』)「神」が「絶対」である必要は、個々人の生命がかけがえないものだから。「絶体絶命」の状況において「絶対」である生命を任せ得るものは「絶対」以外には無い。「また、すべての人は食べ、飲みあらゆる労苦の内に幸せを見いだす。これこそが神の賜物である。」(共同訳 コヘレト3:13 )

2023-01-01から1年間の記事一覧

メンタルヘルスと神観…コヘレトの神…非人格神、「創造的空」の自己限定…自己対象化、聖定信仰の捉え直し、認知行動療法的宗教論

認知療法では、対人関係などでトラウマになるようないやな体験をした時に自分の中に生じる「自動思考」を省察し、これを柔軟な考え方に変えることによってストレスの衝撃を軽減しようとします。「自動思考」に影響を与えるいるものが「スキーマ」であり(sch…

創造的空(超「意味ー無意味」)と世界の現実(戦争と平和)と「倫理と理論と直観」

< 八木誠一によると、「神の支配」のもとでは、人間の行為は定められた律法によって決定されるのではなく、「神の支配」によって決定されるのであり、人間の側の意図的な判断を超えていることになるという。「敵を愛しなさい」というイエスの教えは、実際に…

救済福音として要請される、「けっして自我の中に吸収され解消されることのできないもの」である「絶対的な霊的実体」としての神

">私にとって聖書的神観は、以下の量義治氏の説をもって最適とする。 ">「神は人間の外に存在する絶対的実在なのである。しかも自我としての人間に対して立つ絶対的他者である。言い換えれば、自我を超越するものとして、けっして自我の内に吸収され解消され…

「従属的三一神信仰」の再発見 ―「キリスト中心主義」を乗り越えて―

">そもそもキリスト教の中心的教義である「イエス・キリストによる罪の贖い」の意味は、神(御父=エホバ)の聖性を実感する信仰の恵みを与えられていてこそ理解できる。すなわちキリスト信仰に先立って神信仰が成立していなければキリスト教は成り立たない…

「絶対」と「絶体(絶命)」…拝一神教では神にも不可能が存在している(~深津容伸氏)、絶対性は普遍性を含意する(~八木誠一氏)。メンタル問題から終末、聖書と死後生(来世)――

『死ぬ瞬間』の著者として有名である精神科医の故・エリザベス・キューブラー・ロス博士は、死へのプロセスを、(1)否認、(2)怒り、(3)取引、(4)抑うつ、(5)受容の5段階として示しました。(3)の取引というのは人格神観の信仰を前提として…