絶対(神・霊)と無(主・イエス)~聖書とメンタルヘルス

イエスを「無」という意味は「ケノーシス」…聖霊による自我無化。「『必要』ということが、ほとんどの場合、どうどうめぐりをする考えから、私たちを救い出してくれるのである。」(渡邊二郎著『人生の哲学』)「神」が「絶対」である必要は、個々人の生命がかけがえないものだから。「絶体絶命」の状況において「絶対」である生命を任せ得るものは「絶対」以外には無い。「また、すべての人は食べ、飲みあらゆる労苦の内に幸せを見いだす。これこそが神の賜物である。」(共同訳 コヘレト3:13 )

2023-05-05から1日間の記事一覧

「従属的三一神信仰」の再発見 ―「キリスト中心主義」を乗り越えて―

">そもそもキリスト教の中心的教義である「イエス・キリストによる罪の贖い」の意味は、神(御父=エホバ)の聖性を実感する信仰の恵みを与えられていてこそ理解できる。すなわちキリスト信仰に先立って神信仰が成立していなければキリスト教は成り立たない…