絶対(神・霊)と無(主・イエス)~聖書とメンタルヘルス

イエスを「無」という意味は「ケノーシス」…聖霊による自我無化。「『必要』ということが、ほとんどの場合、どうどうめぐりをする考えから、私たちを救い出してくれるのである。」(渡邊二郎著『人生の哲学』)「神」が「絶対」である必要は、個々人の生命がかけがえないものだから。「絶体絶命」の状況において「絶対」である生命を任せ得るものは「絶対」以外には無い。「また、すべての人は食べ、飲みあらゆる労苦の内に幸せを見いだす。これこそが神の賜物である。」(共同訳 コヘレト3:13 )

2024-01-01から1年間の記事一覧

絶対主・エホバの御聖霊

「神は靈なれば、拜する者も靈と眞とをもて拜すべきなり」(ヨハネ4:24) 元来、「霊」である「神」が「神」として信仰の対象となるのは、本来、非対象(…というか「対象ー非対象」、「人格ー非人格」の分別を超えたもの)である「神」が、言わば自己限定・…

自殺するなら「自己」としてではなく「自我」でどうぞ!怨憎会苦する「自我」をキリストの贖罪の十字架に磔殺してラクになりましょう…聖霊他力による救い ~「絶対」と「他者」とを分かつ高柳氏と小田垣氏~

なぞなぞ:あればあるで困るし、なきゃないで困るもの、な~んだ? 私の場合、自分(自我)を捨てるということ、自我の磔殺(たくさつ)ということは、下の引用文のように主イエスの命令だから、その命令に従わないと救われないから…といった律法主義的なこ…

聖書的精神療法・・・対人関係だけを前提とする「認知・行動療法」を媒介して、対人関係だけではなく対神関係を第一の前提とする「聖霊感知・行動療法」へ

< そもそも、精神療法・心理療法とは、治療者と「対話」「交流」を通じ、「自己」を「深く知る」ことにほかなりません。その際、治療者の「姿勢」「人柄」さらに「人間性」が問われると言っても過言ではないでしょう。世界には数百の精神療法・心理療法があ…

聖霊のはたらきと創造的空、心理療法と自虐的信仰、メンタルヘルスにおけるセロトニン活性化、対人関係だけの臨床心理学の限界…対神関係を前提としたスピリチュアル認知行動療法

「かくして、私の愛する者たちよ、あなたがたがいつも従順であったように、私が〔あなたがたのところに〕いる時のみでなく、むしろいない今は、よりいっそう〔従順になり〕、恐れとおののきとをもって、己自身の救いを獲得しなさい。というのも、〔自らの〕…

矢内原氏の「キリスト教入門」批判

自分は日本のキリスト教指導者の中でも思弁の巧みさという点では北森嘉蔵氏と並んで矢内原忠雄氏の著述にも関心を持ってきました。従って批判対象としての価値もその分高いと思います。ここでは矢内原氏の『キリスト教入門』を批判することを通して(否定的…