絶対(神・霊)と無(主・イエス)~聖書とメンタルヘルス

イエスを「無」という意味は「ケノーシス」…聖霊による自我無化。「『必要』ということが、ほとんどの場合、どうどうめぐりをする考えから、私たちを救い出してくれるのである。」(渡邊二郎著『人生の哲学』)「神」が「絶対」である必要は、個々人の生命がかけがえないものだから。「絶体絶命」の状況において「絶対」である生命を任せ得るものは「絶対」以外には無い。「また、すべての人は食べ、飲みあらゆる労苦の内に幸せを見いだす。これこそが神の賜物である。」(共同訳 コヘレト3:13 )

2024-04-01から1ヶ月間の記事一覧

絶対主・エホバの御聖霊

「神は靈なれば、拜する者も靈と眞とをもて拜すべきなり」(ヨハネ4:24) 元来、「霊」である「神」が「神」として信仰の対象となるのは、本来、非対象(…というか「対象ー非対象」、「人格ー非人格」の分別を超えたもの)である「神」が、言わば自己限定・…

自殺するなら「自己」としてではなく「自我」でどうぞ!怨憎会苦する「自我」をキリストの贖罪の十字架に磔殺してラクになりましょう…聖霊他力による救い ~「絶対」と「他者」とを分かつ高柳氏と小田垣氏~

なぞなぞ:あればあるで困るし、なきゃないで困るもの、な~んだ? 私の場合、自分(自我)を捨てるということ、自我の磔殺(たくさつ)ということは、下の引用文のように主イエスの命令だから、その命令に従わないと救われないから…といった律法主義的なこ…